大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和62年(ワ)10674号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 佐和洋亮

被告 甲野春夫

右訴訟代理人弁護士 北村哲男

主文

被告は原告に対し別紙物件目録記載の建物を明渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  主文同旨

二  仮執行の宣言

(請求の趣旨に対する答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)は原告の所有である。すなわち、昭和二四年ころ、原告は「乙山」の商号で鋳物の材料の砂や粘土を売る問屋を営業していたが、店舗兼従業員宿舎を建てることになり、埼玉県に存した原告の疎開先の家屋を移築することとし、大工の訴外丙川五郎に依頼し原告の費用でこれを移築して本件建物とした。

二  被告は本件建物に居住してこれを占有している。

三  よって、原告は被告に対し本件建物の明渡しを求める。

(請求原因に対する答弁)

一  請求原因一のうち本件建物が埼玉県から移築されたことは認めるが、その余は否認する。

本件建物は昭和二五年被告の父乙山松夫(以下「松夫」という。)が移築したものであり、その費用は松夫の妻(被告の母)竹子が嫁入り道具を売却して得た金員をもってまかなった。したがって、本件建物は松夫の所有であったところ、未登記であったため、松夫の死後昭和五一年七月一五日に相続人である被告が被告名義で所有権保存登記を経由した。

二  同二は認める。

(抗弁)

一  取得時効

仮に本件建物が原告の所有であったとしても、被告は次のとおり時効により本件建物の所有権を取得した。

1 松夫と竹子は昭和二四年六月ころから本件建物を所有の意思をもって占有してきた。したがって、昭和四四年六月末日の経過により右両名は時効により本件建物の所有権を取得した。松夫は昭和四九年一二月三日死亡し、その子である被告が同人の権利義務を承継した。

2 原告と松夫とは「乙山」を共同経営していた。しかし昭和四二年原告と松夫とは決別し、以後原告は本件建物の固定資産税の支払を停止し、原告と松夫の家族との関係は仕事上も金銭上もなくなり、以後松夫と竹子は本件建物を所有の意思をもって占有し、昭和四九年一二月三日松夫の死亡により右占有状態は被告と竹子が承継している。したがって、昭和六二年一二月末日には取得時効が完成した。

3 被告は松夫の死亡の翌日である昭和四九年一二月四日から所有の意思をもって本件建物の占有を開始し過失がなかったので、昭和五九年一二月三日をもって取得時効が完成した。

二  賃貸借

松夫が原告と共に「乙山」の仕事をしていたときは、一切の収益は原告のもとに集められていたため、その中から賃料相当分は原告に吸い上げられていた。当時松夫名義の固定資産税は原告によって支払われていたとしても、松夫が支払うべきものを原告が代わって支払っていたにすぎない。そして、遅くとも昭和四三年以降は松夫は自ら固定資産税その他本件建物に関する経費を支払ってきたのであるから、家賃相当額の公租公課等の経費を支払っていたものである。本件建物は老朽化しており、家屋全体の財産的価値はほとんどないので、わずかではあっても固定資産税その他保全のための修理費等の支出をもって家賃相当分とみることができる。したがって、原告と松夫との間には本件建物について有償の契約すなわち賃貸借契約が存在していたものということができる。被告は右賃貸借契約における賃借人の地位を松夫から相続により承継したものである。

三  使用貸借

原告と松夫との間には本件建物につき使用貸借契約が存した。そして松夫死後も竹子及び被告を当事者として右使用貸借契約は存続していた。

四  権利濫用

仮に本件建物が原告の所有であり、松夫との間に使用貸借の関係のみあったにすぎないとしても、昭和二五年以来今日まで、原告において何ら所有者としての行動をしたことがない。すなわち、

1 昭和四二年ころ松夫が原告との共同経営に終止符を打ち他に職を変えたときに、原告は明渡しの意思表示などしていない。

2 松夫が死亡した昭和四九年当時原告は本件建物が自己の所有である旨の意思を表明したことがなく、明渡しを求めてきたこともない。

3 被告が所有権保存登記をしたことを原告が知らなかったとしても、じ後被告が固定資産税を支払っているにもかかわらず原告は所有者としての行動を何らとっていない。

4 原告は昭和六一年になって初めて明渡しの請求をしてきた。

右事実関係のもとにおいては、本件明渡請求は権利の濫用である。

(抗弁に対する答弁)

一  抗弁一1のうち、松夫が被告主張の日に死亡したことは認めるが、その余は否認する。

同2のうち、原告が昭和四二年以後本件建物の固定資産税の支払をしていないこと、松夫が被告主張の日に死亡したことは認めるが、その余は否認する。「乙山」の営業は、松夫と共同でしていたものではない。

同3は否認する。

二  同二のうち、原告が本件建物の固定資産税を支払っていたことは認めるが、その余は否認する。

三  同三のうち、原告が松夫に本件建物を無償で使用させていたこと、すなわち同人との間に使用貸借契約が存したことは認めるが、その余は否認する。

原告は前記のように店舗兼従業員宿舎とするため本件建物を移築したものであり、昭和二五年ころ「乙山」の従業員であった松夫に対し本件建物を無償で貸したのである。

四  同四は争う。

(再抗弁―抗弁三に対し)

一  松夫は昭和四三年「乙山」を退社し一時宇都宮に帰って行った。この時点で同人は従業員の身分をなくしたので、従業員としての宿舎の使用関係は終了した。

二  松夫は昭和四九年一二月三日死亡した。

したがって、民法五九九条の規定により、本件建物の使用貸借契約は右同日限り終了した。

三  昭和六〇年ころ、原告は七〇歳近くとなって、砂、砂利などの建築材料を扱う仕事がきつくなり、また大手業者がまとめて取引をするという業界の変化などから仕事の量が減り、廃業を考えるようになった。そこで原告は本件建物の敷地を含む原告所有の土地で貸駐車場を経営して生活の資を得ることを企図した。

これに対し被告は会社員として母子を養って働いており、その妻は看護婦として働いている。

このように、本件建物を松夫に貸した当時と比べて双方の生活状況は大きく変化しており、もはや原告が被告らの生活を援助するために本件建物を貸し続ける必要性はなくなっている。

したがって、被告は本件建物につき使用収益をなすに足るべき期間を経過したものであり、民法五九七条二項の規定により、本件建物の使用貸借契約は既に終了したものというべきである。

(再抗弁に対する答弁)

松夫が昭和四九年一二月三日死亡したことは認めるが、その余は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  本件建物の所有権の帰属につき争いがあるので、まずこの点について判断する。

《証拠省略》によると、原告の父甲野松太郎は昭和五年ころから「乙山」の屋号で鋳物の型砂、粘土、砂利等を販売する問屋を経営していたが、原告は昭和八年ころから右の家業に従事し、昭和一四年ころ松太郎が大病を患ってからは同人に替わって原告が右営業を行うようになったこと、原告は昭和一五年ころ埼玉県《番地省略》に木造瓦葺トタン交葺平屋建の建物(以下「戊田の建物」という。)を建築し、第二次大戦中原告の家族の疎開先の住居としてこれを使用していたこと、原告は昭和二〇年当時右建物につき住宅及び家財一式を目的とし、その所有者を原告として火災保険契約を締結していたこと、松太郎は昭和二一年一二月右疎開先において死亡したこと、これより先昭和二〇年三月一〇日の空襲により「乙山」の店舗建物は消失したため、その跡地は材料置場として使用されていたが、昭和二四年ころ原告はここに店舗兼従業員宿舎を建築することを企図し、戊田の建物を解体しその材料を用いて本件建物を建築した(いわゆる移築した)こと、以上の事実が認められる(本件建物が埼玉県から移築されたものであることは当事者間に争いがない。)。《証拠判断省略》

右事実に加えて、被告において戊田の建物が原告の所有であったことを積極的に争っていないことなど本件弁論の全趣旨をも合わせ考えると、戊田の建物は原告の所有であったと認めるのが相当である。

二  このように戊田の建物が原告の所有であったとすると、特段の事情が認められない限り、これを移築した本件建物は同様に原告の所有に属したものと推認すべきである。そして右特段の事情としては、本件事案に即していえば、移築の目的が専ら移築後の建物を被告の父松夫及びその家族の住居に当てることにあり、かつ原告において戊田の建物を移築後の建物の材料として無償で松夫に提供したというような事情、或は移築のための費用を全部松夫が負担し、しかもその金額が移築された建物の材料の価額を大幅に上回り移築後の建物は松夫が大部分の資金を投じて建築したと評価できるというような事情等が考えられる。

そこで判断するに、《証拠省略》によると、原告と竹子とは松太郎・タケ夫婦の間の子で兄妹の関係にあること、松夫は「乙山」の従業員であったが、松太郎の死後の昭和二二年タケと養子縁組をして竹子と婚姻し、原告方に同居していたことが認められるところ、《証拠省略》中には、竹子が昭和二二年四月松夫と結婚することになった際、タケと原告は、戊田の建物を東京の甲野家の地所に移築して松夫ら夫婦の新居として提供することを約したとの供述部分が存する。そして、これを裏付けるものとして乙第四号証の一ないし三が提出されている。しかし、右乙号証はいずれも白紙に拇印が押捺されているにすぎないものであり、日付の記載もないうえ、右供述に現れているような約束が具体的に記載されているものではないから、右時点において確定的に右約束がされたことを証する書面としては不完全なものというほかなく、右供述の裏付けとするには足らないものである。また、右竹子の供述中には松夫が「乙山」の共同経営者であったと述べる部分があり、《証拠省略》によると、松夫は単なる従業員の立場を越えて「乙山」の営業に実質的に関与することがあったことが窺われるが、《証拠省略》によると、「乙山」の営業全体を主宰していたのは原告であったと認められる。そして、右認定のような原告と松夫、竹子との身分関係及び松夫の「乙山」における地位等を考慮しても、《証拠省略》に照らすと、原告が竹子の結婚に際して戊田の建物を同人の新居の建物の材料として無償で提供したと認めることは困難であり、竹子の前記供述部分はたやすく措信することができない。

被告は右移築の費用は竹子が嫁入り道具を売却して得た金員をもってまかなったと主張する。そして《証拠省略》によると、竹子は昭和二三年四月ころから約四か月にわたって衣類を売却したことが認められる。しかし、右事実によっても、移築のための費用を全部松夫が負担し、しかもその金額が移築された建物の材料の価額を大幅に上回り移築後の建物は松夫が大部分の資金を投じて建築したと評価し得るものであると認めるには足らず、ほかにこのような事実関係を認めるに足りる証拠はない。

かえって、《証拠省略》によると、戊田の建物を解体して本件建物を建築するについては原告が大工の訴外丙川五郎(八郎とも称していた。)に依頼し、移築の費用及び建築代金(新たな材料の代金を含む。)は原告が支払ったこと、そして本件建物建築後の固定資産税は昭和四二年ころまでは原告が支払っていたことが認められる。《証拠判断省略》

右のとおりであるから前示特段の事情を認めることはできず、かえって戊田の建物の移築に当たっては原告が主体となり費用を負担してこれを行ったことが認められる。そうすると、移築後の建物すなわち本件建物は原告の所有となったものと認めるのが相当である。

三  請求原因二の事実は当事者間に争いがない。

四  そこで抗弁一の取得時効の主張について判断する。

1  被告は、松夫、竹子の夫婦は昭和二四年六月ころから所有の意思をもって本件建物の占有を開始したと主張するが、前認定によれば、本件建物は原告の所有であって、原告と竹子とは兄妹の関係にあり、松夫は「乙山」の従業員で、松太郎の死後の昭和二二年タケと養子縁組をして竹子と婚姻し原告方に同居していたものであるところ、《証拠省略》によると、昭和二三年に竹子が長女を出産し、原告の妻も出産の予定となったため、松夫及び竹子は前記のようにして移築された本件建物に居住することになったことが認められる。そして本件建物に居住するについて松夫らが原告に対し何らかの対価を支払うことを約したような事実を認めるに足りる証拠はない。右事実関係によると、松夫らによる本件建物の使用関係は、原告において親族間の情誼に基づき好意的に無償で使用を許したもの、すなわち使用貸借契約であったと認めるのが相当である。そうすると、被告主張の時期に開始された松夫及び竹子の占有は自主占有と認めることはできない。

2  被告は、松夫及び竹子は昭和四二年以後本件建物を所有の意思をもって占有していると主張し、《証拠省略》によると、松夫は昭和四三年ころ原告と仲たがいをして「乙山」を辞めたこと、このころを境にして原告は本件建物の固定資産税を支払うのを止め、以後は松夫ないし被告が本件建物の固定資産税を支払っていることが認められる。しかし、松夫が「乙山」を辞めて原告との仕事上の関係がなくなったからといって、それまでの本件建物の占有の性質が変わるものではないし、また前記のように本件建物の使用関係が使用貸借であったことからすれば、松夫が原告と仲たがいをして原告の好意を従前ほど期待することができない状態になったため、固定資産税を松夫ないし被告側で負担することになったということは十分にあり得る事態というべきであって、そのことから松夫らの占有が自主占有に変わったということはできない。

3  被告は、松夫死亡の翌日である昭和四九年一二月四日から本件建物を所有の意思をもって占有していると主張するが、松夫の死亡の前後を通じて占有の態様に変化が生じたこと、或は新たに自主占有の開始があったとみるべき事実関係が生じたことを認めるに足りる証拠はない。

4  以上のとおりであるから、時効取得の主張はいずれも採用することができない。

五  次に、被告は、「乙山」における松夫の収益は原告に吸い上げられていた。固定資産税は松夫が支払うべきものを原告が代わって支払っていたにすぎない。昭和四三年以後は松夫が固定資産税を負担するようになったなどと主張し、原告と松夫との間には本件建物につき賃貸借契約が存したものであると主張する。しかし、「乙山」における松夫の収益が原告に吸い上げられてそれが本件建物の賃料に相当するほどの額であったこと、そしてこれを建物使用の対価とすることの認識が原告及び松夫との間にあったことを認め得るような証拠は存しない。また固定資産税の支払については、松夫が支払うべきものを原告が代わりに支払っていたとみるべき証拠は存しないし、昭和四三年以後における松夫の支払は、前記のように原告と仲たがいしたことから、原告の好意を期待することができなくなった状況に対応してのものであると認めるのが相当である。そして建物の使用関係が無償の使用貸借契約であることと、借主が当該建物の固定資産税を負担することとは何ら矛盾するものではない。したがって、右主張は採用することができない。

六  被告は使用貸借契約の存在を主張するところ、本件建物につき原告と松夫との間に使用貸借契約が存したとみるべきことは、さきに説示したとおりである。したがって、右抗弁は理由がある。

七  右抗弁に対する再抗弁として、原告は使用貸借契約の終了を主張するので、以下判断する。

1  原告は、本件建物が従業員宿舎であることを前提として、昭和四三年に松夫が「乙山」を辞めた時点で使用貸借契約が終了したと主張する。しかし、前認定によれば、本件建物は店舗兼従業員宿舎とすることを意図して建築されたものではあるが、原告が松夫に本件建物の使用を認めたのは、松夫が「乙山」の従業員であることを居住の条件としたのではなく、むしろ同人が妹の夫であることからその家族の住居を確保する必要があるとの配慮に出たものと認められるから、松夫が「乙山」を辞めたからといって直ちに同人との間の本件建物の使用貸借契約が終了すべきものであったとはいえない。

2  松夫が昭和四九年一二月三日死亡したことは当事者間に争いがない。しかし、本件建物の使用貸借は、右にみたように原告において松夫の妻竹子が自己の妹であることからその住居を確保する必要があるとの配慮から認めたものであるから、このような配慮が必要と認められる事情の存する限り、民法五九九条の規定にかかわらず、右使用貸借契約は松夫の死亡によって直ちに終了するものではないというべきである。そして、《証拠省略》によると松夫及び竹子の間には被告及びその姉の二人の子があるところ、長男である被告は松夫死亡の当時二四歳であっていまだ一家の生活を支えるに足る十分な資を得る年齢に達していなかったことが認められる。したがって、松夫死亡の当時、竹子及び被告らにおいて居住のためなお本件建物の使用を継続すべき必要があり、原告による前記のような配慮を肯認すべき事情がいまだ存していたとみるのが相当である。そうすると、本件建物の使用貸借契約は松夫の死亡によっても終了しなかったものというべきである。

3  前認定によると、本件建物の使用貸借は昭和二四年ころに始まったものとみることができる。したがって、本件口頭弁論終結時においてほぼ四〇年を経過することになった。そして、《証拠省略》によると、被告は三九歳になり妻帯し、会社員として稼働して、本件建物に母の竹子とともに居住していることが認められる。一方、《証拠省略》によると、原告は既に七〇歳を越しており、体力的にも「乙山」の営業を続けて行くことが困難になっていることが認められる。

使用貸借が無償の利用関係であることを考えると、このように使用期間が四〇年になろうとして、しかも当初予定していた竹子を含め松夫の家族の住居を確保するために原告の方で配慮しなければならないとの事情も変化を来している現状の下では、遅くも本件口頭弁論終結時には、本件建物の使用貸借契約はその目的に照らし使用収益をなすに足るべき期間を経過して終了したものとみるのが相当である。

したがって、被告は原告に対し本件建物を明渡す義務がある。

八  被告は、原告による本件建物の明渡請求は権利の濫用であると主張する。そして《証拠省略》に照らすと、原告は昭和六一年ころになって被告に対し本件建物の明渡しを求めるようになったが、それまでは明渡しを求めることはなかったこと、また被告側が本件建物の固定資産税を支払っていることについても何ら特段の対応を示すことがなかったことが認められる。

しかし、本件建物の使用関係は前記のように竹子を含め松夫の家族の住居を確保する必要があるとの原告の好意的な配慮に基づくものであるから、原告が、前記七にみたような事情から、本件建物の使用貸借は使用収益すべき期間を経過して終了したものであるとして被告に対しその明渡しを求めるのは、理由のあるものということができ、右のような事実があるからといって、これを権利の濫用ということはできない。なお、本件について、原告は裁判所からの和解勧告に対し代替家屋の斡旋を試み、あるいは移転に伴う種々の出費を補うものとして一〇〇〇万円を越える金額の支払を申し出たが、被告はこれを受け入れなかったものであり、このことからしても、原告の本件明渡請求が権利の濫用であるとの非難は当たらないものといわなければならない。したがって、被告の権利濫用の主張は理由がない。

九  以上の次第で、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し、仮執行の宣言についてはこれを付すのは相当でないからその申立を却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村正人)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例